長編記録映画

琵琶法師 山鹿良之

 琵琶一本かき鳴らし語り一筋で、大正、昭和、平成を生き抜いた人がいます。
山鹿良之さん、説教節語りの琵琶法師です。1901年(明治34年)生まれですから映画撮影時(1992年)は、91歳。4歳で左眼を失明し、右眼も光を失いつつあり、聴力もおぼつかないのが、今の状態です。毎日飯一合五勺と酒三合を摂り好物の葉は白身魚と明太子とかしわ汁。口跡もとより鮮やか、琵琶を抱けば背筋もキリと伸び、東に竃払い(かまどはらい)あれば行って「般若心経」を唱え、西に演唱会あれば出かけて「小野小町」の一節を語ります。住まいは熊本県玉名郡南関町小原。22歳で肥後琵琶の師に就き、以来70年、琵琶弾きさん《土地の人は親しみをこめてこう呼ぶ)で飯を食いつづけてきました。
 山鹿さんの語り物の持ち外題はおよそ40。「小栗判官」や「俊徳丸」のような説教種から「大久保政談一心太助」のような講談ネタまでまさに混淆、「芸人は上手も下手もなかりけり行く先々の水に合わねば」といった趣です。それにしても外題 40種余というのは、語り物のインフォーマントとして圧倒的な伝承量で、仮にその全部を語ったらいったい何百時間になるかという膨大なものです。   
 この映画は、町の由緒ある芝居小屋、村の古いお宮様、旧家の座敷、そして浅草の演芸場で語り継がれた「小栗」の物語を縦糸に、横糸にはそれを語る山鹿さんの普段の暮らしぶりを織りなして構成されています。山鹿さんは自分の規矩をもって生きる一流の庶民のひとりです。芸の力と日々の過ごし方が混然一体となって醸し出すその魅力、それは、わが隣人、と呼びかけたくなる類の物です。この映画はそんなすばらしい同時代人を記録したものです。

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